中田翔氏、大阪桐蔭監督が明かした“歴代ナンバーワン打者・投手” 「断トツで1番だった」

中田翔氏が明かした大阪桐蔭時代のエピソード。ケガで投手を断念し「野球をやめよう」と追い詰められるなか…。

中田翔

北海道日本ハムファイターズ、読売ジャイアンツ、中日ドラゴンズでプレーした中田翔氏が6月30日、野球評論家・高橋慶彦氏のYouTube『よしひこチャンネル』に出演。大阪桐蔭の西谷浩一監督が認めた、最強の打者・投手を明かした

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■エースだったがケガで断念

桐蔭時代、エースで4番を任されていた中田氏。「ピッチャーのほうが自信があったし、ピッチャーでプロに行くつもりだった」と振り返るが、2年春に154キロを投げた際、肘に致命的なケガを負ってしまう。

当時は今のように関節鏡手術などが一般的ではなかったため、投手を断念。「今だったらピッチャーでプロに行けていたかもしれない」と悔しさをにじませる。

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■西谷監督の言葉で転向決意

肘の故障により投げられなくなった中田氏は、「野球をやめよう」とまで追い詰められたという。そんな絶望のどん底から救い上げたのが、大阪桐蔭を率いる西谷監督だった。

「お前はバッティングでもプロを目指せるだろ。何を言ってんだ」と一喝されたことで、中田氏は打者転向を決意。猛烈なバッティング練習を続けた結果、1年時に10数本だった本塁打は、2年時には50本近くまで量産。強打者としての才能を開花させ、プロへの道を切り拓いた。

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■歴代ナンバーワン打者・投手

これまで数々の怪物たちを育ててきた西谷監督。そのなかで「ナンバーワン」と認めた投手がいて、「今でも西谷監督は『大阪桐蔭で監督をやってきて、歴代ナンバーワンピッチャーは中田。断トツで1番だった』って」と話す。

一方、打者は「森友哉(オリックス・バファローズ)って言ってたかな」と中田氏は証言した。

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