食米作りをやめて酒米『一本〆』を自社栽培 優しい食中酒は地元の名物も引き立てる
恩田社長は、東京農大で学んだ「蔵元杜氏」のはしりでもある。
■今は全て酒米の田んぼに
酒米というと背が高く倒れやすいため作りにくい、というイメージがある。その点、背があまり高くならないので作りやすい酒米の一つが一本〆だ。
「一本〆は五百万石を母に、豊盃を父に持ち平成6年に新潟県で開発された品種で、寒さに強く稲の背が高く無い為倒れにくく、端麗辛口な味わいとは少し異なり、米の旨みを感じる酒になりやすいのが特徴です。
旨味があり少し甘めの酒を造り続ける恩田酒造は一本〆を自分達で育ててみようと挑戦を始めました」
そう語るのが、恩田酒造社長の恩田紀男さん。一本〆をこよなく愛する一人だ。純米酒、吟醸酒は、ほぼ一本〆で醸している。
「この20~30年前から田んぼ全部が酒米になっちゃって、今は、食べる米は買っているんですよ。うちでは、肥料や除草剤の使用量は極力少なくしています。比較すると収穫量はどうしても多少、減ってしまいますけどね」と笑って話す。
味わいはワインで言えばフルボディタイプのような、コクと旨味の強い、味の濃いお酒となる。そこが魅力だという。
■農大で学び蔵元杜氏に
精米も全量近い量を自社精米で行っていて、原料の米作りから酒まで、ほぼ社内で完結。六次産業化されている。
蔵元ながら、酒の設計もしていたという父の影響と、祖父からの指示により、東京農大の醸造科に進んだ恩田さん。
4年生になると、当時、東京都北区滝野川にあった頃の醸造試験場で米や米麹の研究を手伝い1年を過ごし、卒業後は、食品分析などをおこなう会社に勤務していた。
蔵に戻ると、当たり前のように蔵にいた越後杜氏の元で、酒造りをスタートし、杜氏の引退後は、今でこそ多くなった蔵元杜氏に。
「でも、学ぶことと実際に造ることでは、全くと言っていいほど違いますからね」
現在は10月〜4月頃にかけて行っている酒造りだが、いずれは三季醸造も考えている。そのスタート時期は未定だが、そう遠くない時期になるに違いない。