“三冠王確実” だった巨人の打者を片岡篤史が告白 「不運な事故」で長い療養に…
YouTubeで「短命に終わった選手」を語った片岡篤史氏。PLの先輩も入っていたようで…。
■短命に終わった選手をトーク
動画では野球の記憶力に定評のある片岡氏が「能力はあるけれど、怪我などで短命に終わった選手」を解説。そのなかで名前が挙がったのが、PL学園から読売ジャイアンツ入りしプレーした吉村氏だった。
同氏のプレーについて「3~4年目あたりで、50番トリオで出てこられて、かっこよかった。レフトにもホームランを打たれる方で、当時三冠王に1番近いと言われていた」と振り返った。
■みんなが憧れた打者
さらに片岡氏は「札幌円山球場の中日戦と思うんだけど(守備で他選手と)接触されて大怪我をされた。復帰されたときにヤクルトの川崎憲次郎から、優勝を決めるサヨナラホームラン打たれたりしたんだけど、あの怪我がなかったら間違いなく球史に残る左打者だったと思う」と解説する。
また、「俺の下にカープの前田智徳選手がいるけど、タイプ的にはああいうタイプ。 穴が少なかったっていうのかな、大先輩に向かって、こんなこと俺らが言うのはアレなんだけど」とコメント。
「テレビを見ていたときは、もうどこに投げても打つ。ホームランも30本近く打たれるし、みんなが憧れた、真似するような左バッターでしたね」と語っていた。
■4番候補になるも「事故」に遭う
吉村氏は1984年に1軍に定着すると、4年連続で打率3割以上を記録。87年には3割30本をクリアし、原辰徳氏に代わる4番候補となっていた。
ところが1988年7月6日、札幌円山球場で行われた中日ドラゴンズ戦でフライをキャッチした際、猛スピードで走ってきた巨人・栄村忠広氏と激突し、左膝の靭帯3本が完全断裂。この怪我は吉村氏が栄村氏の存在に気がついていなかったようで、かなりの大怪我となり1年以上の療養、さらには後遺症が残ったといわれている。
■非常に残念な事故に
吉村氏は怪我を克服し、1990年に復帰。以降、1997年まで17年間巨人でプレーしたが、スタメンの機会は減ってしまった。仮に怪我がなかった場合、300~400本程度のホームランと2,000安打の達成も可能だっただけに、惜しむ声は多い。
一方で激突してしまった栄村氏も、漫画家などから激しい誹謗中傷を受け、ひっそりと引退。両者にとって、運命を変える事故となってしまった。
吉村氏は名球会、栄村氏も俊足巧打の選手として活躍できた可能性もあっただけに、非常に残念な事故だった。





