片岡篤史氏、“短命だったけど凄い能力”の野球選手を明かす 「当時22勝っていうのは衝撃的」

片岡篤史氏がYouTubeチャンネルで、短命に終わったものの、凄かった選手を語った。

片岡篤史
撮影=sirabee編集部

元日本ハムファイターズ・阪神タイガースの片岡篤史氏が22日、YouTube『片岡篤史チャンネル』に出演。「印象に残っているけど、活躍期間が短かったプロ野球選手」を語った。

【今回の動画】片岡氏が短命に終わった選手を語る


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■短命に終わった選手は…

片岡氏が「印象に残っているけど、怪我などで短命に終わった名選手」を語った今回の動画。同氏が真っ先に挙げたのは、元日本ハムファイターズの木田勇氏だった。

木田氏について「その年のすごい注目された方。(社会人チームの)日本鋼管から、たぶん複数球団から指名されたんやけど、日本ハムに入られた。当時大沢親分ですよ。左投げで1年目に22勝ぐらいされた。すべての賞を総ナメにされてすごかった思い出がある」と語った。

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■22勝は衝撃

さらに片岡氏は「2年目も10勝ぐらいされたのかな。 そのあと、勝ち星が伸びなかったんだけど、日本ハムのOB会長もしていただいた。俺もそんなにお話をする機会はなかったんだけど」と紹介。

続けて「当時22勝っていうのは衝撃的な数字。ルーキーでそれをやられたっていうので本当にエースという感じでね。 後々、俺も日本ハムにお世話になるんやけど、そういう面でも、一世を風靡したサウスポーですよ」と解説する。

その後、片岡氏は元西武ライオンズの小野和幸氏、中日ドラゴンズの森田幸一氏などの名前を挙げていた。

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■新人で投手のタイトルを総ナメに

木田氏は1978年のドラフトで広島東洋カープから1位指名されるも、在京球団を希望して拒否。翌年読売ジャイアンツ・横浜大洋ホエールズ・日本ハムファイターズから指名を受け、日本ハムが交渉権を獲得し、入団することになった。

1年目は22勝8敗、防御率2.28で最多勝・最優秀防御率・最高勝率・MVPを獲得。翌年も10勝し、リーグ優勝に貢献した。その後は成績が徐々に落ち、大洋・中日と渡り歩き、1990年に引退した。

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■権藤氏や宅和氏も該当か

ほかに短命選手となると、木田氏の前に高卒新人で26勝してタイトルを総ナメにし、2年目にも24勝したものの、4年目以降勝てずに引退した南海ホークスの宅和本司(たくわ・もとじ)氏がいる。

また「雨雨権藤雨権藤」といわれ、1年目に35勝、2年目30勝、3年目10勝したが、酷使による怪我が原因で実働5年に終わった中日・権藤博氏も該当するものと思われる。

短命に終わる選手は酷使を受け、肘や肩を壊して引退せざるを得なくなるケースが多い。平成以降も怪我によるものが多いが、なかには「遊びを覚えて没落」「実力的に数年しか結果を出せなかった」「素行が悪かった」という選手も存在する。

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