読売ジャイアンツは“生え抜き選手に冷たい” 西本聖氏が苦言 「今でも感じている」
槙原寛己氏のYouTubeチャンネルに出演した西本聖氏。古巣・読売ジャイアンツに思うところがあるようで…。
■西本氏がシュートを習得した理由は?
巨人時代の先輩・後輩の槙原氏と西本氏がトークをした今回の動画。話題は西本氏が現役時代得意としていた変化球、シュートに。
習得した理由を質問された同氏は「プロに入ってから。球が速くない、カーブが曲がらない。たまたまナチュラルでシュートしていたから、磨き出したの」と明かす。
槙原氏が「僕も現役時代西本さんにシュートを教えてくださいって行くんですよ。教えてくれるんですけど、全然曲がらなかった。そんな簡単にできない」と話すと、西本氏は「そうだね。その人の感覚だから。今の人より、俺のほうがよく曲がったと思うよ」と胸を張った。
■3本柱をどう思っていた?
その後、1983年に行われた西武ライオンズとの日本シリーズを振り返ったあと、「斎藤雅樹氏・槙原寛己氏・桑田真澄氏の3本柱をどう思っていた?」という質問が寄せられる。
西本氏は「次の時代を担うのは彼ら3人だと思ってましたね。僕らは続かないしね」とコメントした。
■西本氏が巨人の球団運営に苦言
話を聞いた槙原氏は「いやいや及ばないですけど、上の人たちが急にいなくなったんですよ。江川卓さん、定岡正二さん、角盈男さん、鹿取義隆さん。こういう人たちを球団は出したんですよね」と振り返る。
続けて「僕らを1番上の世代に持ってきた。ちょうど西本さんと7歳違うんですけど、7個下の世代に変えちゃったんです。球団の計画で若返りを図ったんです」とコメント。
すると西本氏は「俺からすると巨人軍は冷たいなと。外から入ってくる人間にはすごくいい思いをさせて、純粋に巨人に入っている人は冷たいなと。これは今でも感じていますね」と持論を展開。この発言に槙原氏はタジタジになっていた。
■1989年に中日にトレード移籍
西本氏は1974年にドラフト外で巨人に入団。当初は期待された存在ではなかったが、努力を重ね江川氏とのダブルエースとして活躍した。
1988年オフ、中日ドラゴンズにトレード。成績が下降気味だったとはいえ、巨人のエースが同一リーグの球団に移籍するのは、異例だった。
放出に奮起した西本氏は1989年、中日で20勝6敗の成績を残し、最多勝を獲得。また、同世代の鹿取義隆氏は西武ライオンズに移籍し、黄金時代のリリーフエースに。角盈男氏は日本ハムファイターズにトレードされた。
若手に切り替えた巨人は3本柱や宮本和知氏、香田勲氏らが中心の投手編成に。西本氏のトレード相手である中尾孝義元捕手のリードもあり、日本一となった。