「ドラキュラ」はヴィーガンだった? 500年前の手紙を先端科学で分析し判明
「ドラキュラ伯爵」のモデルの食事は菜食で、肉はほとんど食べていなかった。先端科学による分析で明らかになった。
血を吸うイメージが定着しているドラキュラだが、「実在のモデルは菜食主義者だった」と専門家が新説を唱え、話題になっている。『The Week』や『DailyMail』が伝えた。
■ルーマニアの王子がモデル
世に広く知られる「ドラキュラ伯爵」は、ルーマニアの王子ヴラド3世をモデルにしていると言われている。1448年から1477年ごろに亡くなるまでの間、ルーマニア南部ワラキアンを三度にわたって支配。
敵に杭を刺す残虐性から、のちにアイルランドの作家ブラム・ストーカーの小説『ドラキュラ』で有名な吸血鬼伯爵のイメージが出来上がった。
■500年前の手紙を分析
しかし近年、ヴラド3世の手紙を分析したところ、植物性の食事しか摂っていなかった可能性があるという。
カターニア大学の専門家チームは、ヴラド3世の1475年8月4日付の手紙から血液、汗、指紋、唾液を抽出し、動物性食品のタンパク質がないことを発見したというのだ。
■15世紀の食事情
研究チームのグレブ・ジルベルスタインさんは「吸血鬼のモデルはヴィーガンだったかもしれません。植物ベースの食事をするという選択は、欲望というよりそうせざるを得なかったと予想されます」と語った。
15世紀のヨーロッパは非常に寒冷な気候で、食料も少なかったという。生物考古学者によれば、ヨーロッパ中の貴族は非常に質素な食事をしており、肉はほとんど食べなかったそうだ。
■血を流す病気だった
また研究チームはヴラド3世の手紙から、目および鼻の外傷により血の涙を流す病気「ヘモラクリア」を患っていたことを示唆する手がかりも発見したという。
研究を率いたヴィンチェンツォ・クンソロ教授は「彼の晩年はヘモラクリアと呼ばれる病的状態、つまり血の混じった涙を流す状態に苦しんでいたのでしょう」と語った。
「ドラキュラ伯爵」が生まれる元となった人物は、血を吸うのではなく、血を流す病に苦しんでいたのだ。
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(文/Sirabee 編集部・ジェス タッド)