金村義明氏、野手転向の要因となった投手を告白 「投げたら甲子園が静まり…」
高校時代甲子園で優勝投手になった金村義明氏が、野手転向を決意した要因となった投手を告白。
元近鉄バファローズ選手の金村義明氏が、元東京ヤクルトスワローズ選手の荒木大輔氏のYouTubeに出演。投手から打者に専念するきっかけとなった投手を語った。
■荒木氏と金村氏でトーク
同世代で甲子園をわかせた荒木氏と金村氏が高校時代を振り返った今回の動画。
荒木氏から「当時、関西の高校野球はどんな感じでしたか?」と質問されると「僕らより4つ、5つ上の先輩らが越境入学が始まったぐらい。江の川に行く、鳥取の倉吉北に行く。 そのときの殺し文句が兵庫県だと甲子園に出られないぞと。島根なら2回で行けると」と金村氏は語る。
そして「僕の同世代はほとんどピッチャーはプロに行ったよ。興南の竹下(浩二)、倉吉北にもいたでしょ。秋田経法大の松本(豊)。だから僕の同期はすごいピッチャーばっかりだった」と話した。
■大府高校と対戦して…
金村氏はその後センバツ高校野球大会に出場し、大府高校と対戦した際の思い出に言及。
同氏は「超満員のOBたち、槙原(寛己)が投げたら静まり返ったんや、甲子園が。148キロマッキー旋風で、次の日、関西のスポーツ紙は1面マッキー。今のスピードガンなら158は出てると思いますね」と語る。
そして「僕は見たことがなかった、あんな速いの。プロに入っても槙原が1番速いと思う。そのときの初めてみたのが強烈だから。プロに入ったら野球ばかりしているから目が慣れるじゃん。ブルペンとか見ても槙原のほうが速いと思った」とコメントした。
■ピッチャーを諦めた
大府高校戦について金村氏は「俺が思いっきり投げて、138キロぐらいか。140でなかってん。それで前評判の低い大府打線に1、2回で5回取られてん。槙原に負けたくない一心で、変化球を投げずに、まっすぐだけ投げたら、金属バットで槙原にまでライト線に打たれた」と振り返る。
続けて「3回から、本当にピッチャー諦めてん。俺はもうピッチャーをやめようと思って。そこから変化球ばかり投げて、ゼロに抑えて。それでたまたま槙原からバットを短く持って振ったら、ホームラン、ツーベース、シングルヒットを打って」と回想した。
■大会ナンバーワン打者に
さらに金村氏は「ピッチャーの練習ばかりして、バッティングの練習をしていないのに。それで1回戦で負けて号泣していたんだけど、甲子園大会の雑誌に『大会ナンバーワン打者』と書かれたんよ」と語る。
そして「あの槙原から3本打ったと。それで勘違いしたんだな。俺はもうバッターで行こうと」と笑っていた。