福留孝介氏が大活躍して… 上重聡アナがPL学園に入学した理由を告白

荒木大輔氏のYouTubeに上重聡アナが登場。PL学園に入学した動機や中学時代の球歴を語った。

福留孝介

元学生野球選手で日本テレビの上重聡アナウンサーが荒木大輔氏のYouTubeに出演。野球を始めたきっかけやPL学園に入学した理由を語った。

【動画】上重聡アナがPL学園に入学した理由を語る


関連記事:清原和博氏、伝説の大乱闘を繰り広げた相手と再会 笑顔の2ショット披露

■上重アナが出演

動画の冒頭、荒木氏は上重アナに「すいませんね、本当。本来はあんまり出ちゃいけないような…」と声をかける。

上重アナは「そういうお話があまりなくてですね。じつは今回が初のYouTubeです」と笑う。「今後も基本的に出ない?」と質問されると、「そうですね。もしかすると最初で最後かもしれない」と話す。

すると荒木氏は「これも同級生のお偉い人、松本達夫さん(日本テレビで高校時代荒木氏とバッテリーを組んでいた)のおかげで実現したんだよね。友達は持つものだ」と笑った。

関連記事:清原和博氏、“KKドラフト”巨人・桑田真澄氏指名を回想 「友達だったら…」

■野球を始めたきっかけは?

その後、話題は上重アナが野球を始めたきっかけに。同アナの両親は野球に携わっていないことを明かし、「大阪府八尾市出身なんですけども、そこが少年野球が盛んで、八尾フレンドというボーイズリーグ」と話す。

続けて「桑田真澄さんがいらっしゃったところで、全国でも優勝してくるようなチーム。チームが地域の自慢というか。また全国で優勝したよみたいな」と振り返る。

そして「そこに入りたいって母親にずっとお願いをして。8歳なので、小学校2年から八尾フレンドに入りました」と話した。


関連記事:上原浩治、福留孝介・松坂大輔との3ショット公開 98年ドラフト同期が大集結

■エースではなかった

荒木氏から「上の世代になったらエースで4番だったの?」と質問された上重アナは「じつはですね、小学校も中学校も1回もエースになれなかったんです」と語る。

「打つほうは?」という質問には「3番とか打っていたんですけど、ボーイズリーグってダブルヘッダーで2試合投げることができないので、エースと準エースで勝ち進むんですけど、ずっと準エースだった」とコメント。

実績を聞かれると「小学校は最終学年のとき、15大会で12優勝して。全国大会3つあるんですけど、全部取りました 」と話し、荒木氏を驚かせた。


関連記事:EXIT兼近、WBC番組MCに意気込み 「トガッたものを出して…」

■福留孝介氏に憧れてPLへ

次に話題は上重アナがPL学園野球部に入った理由に。同アナは「子供って目の前の影響力がすごいので、元木大介さんが出ているときには、上宮に行きたいって言って」と笑う。

続けて「そのあと大阪桐蔭が初出場、初優勝したんですよ。大阪桐蔭に行きたいって。萩原誠さんが4番を打って。そのあと近大附属も強くて、金城龍彦さんがいらっしゃって、近大に行きたいって」と語る。

そして「それで中学3年生、いよいよ進路というときにPL学園で福留孝介さんが大活躍されていたので、PL学園に行きたいと」と元中日ドラゴンズの福留孝介選手に憧れてPL学園に進んだことを明かしていた。

【Amazonセール情報】ココからチェック!

次ページ
■上重アナが野球を始めたきっかけを語る