中田敦彦を正しく理解する方法 3つの論点と松本人志批判から構造把握へ
オリラジ中田の提言は、①漫才至上主義②スターが生まれない問題③笑いの芸術性の3論点に整理でき…。
■漫才至上主義
中田の主張は論点や見解の未整理のために、理解されずに終わってしまいかねない。①漫才至上主義②スターが生まれない問題③笑いの大衆性と芸術性の3つの論点に分け、整理する。
今のお笑い界の背景に対する中田の捉え方は、じつは非常に的確。第1に、漫才至上主義に対する認識。
中田の言うとおり、『M−1グランプリ』(テレビ朝日系)によって、漫才至上主義的価値観がお笑い界に浸透したと言える。実際それ以前のお笑い界はコント全盛であった。何せ松本もコントで活躍している。
なお、「形式的な漫才主義」をもたらしたのは松本ではなく、関西圏の吉本興業の文化であり、また島田紳助氏である。
■スターが生まれないお笑い界
第2に、スターが生まれないという問題。もちろん、松本がスターを生めていない問題ではない。あまりに多くの芸人が生まれ、悪平等的なひな壇文化が誕生し、また視聴者も高齢化したのが原因と言える。
ちょうど中田がブレイクした時期がネットの隆盛期であり、スターが生まれにくい時期でもあった。現在は、役者やJ-POPの世界でもスターが多く誕生している。
ただお笑い界だけは、中田も呼びかけ、当の松本他も絶賛する霜降り明星がスターになりきれないあたり、最も硬直した構造にあると言える。皮肉にも、松本の影響力も全く及ばない。
■笑いは大衆的で民主主義的か
中田は大変に興味深いもう1つの問題提起をしている。中田は、お笑いは芸術ではなく大衆的なものだから、視聴者が笑いの良し悪しを決めればいいと言う。これは非常に込み入った問題だ。
たとえば、政治哲学的な分野でも、善い・悪いが根本的にあるのかという類似問題はあり、基本的な回答は「よく話し合う民主主義的解決」である。