片岡鶴太郎、父親の影響でモノマネの道へ 最後の別れは「後悔なかった」
画家、ボクサー、ヨガ…多才な片岡鶴太郎が芸人になったきっかけは、父親の影響?
■芸人になったのは「父の影響」
『帰れない山』は、昨年のカンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞した作品。北イタリアのモンテ・ローザ山麓を舞台に、青年2人のかけがえのない友情と成長、そして家族との関係性を描いている。
片岡は「うちの父親は神田の生まれで江戸の文化、特に落語が好きだった。小さい時は落語がよくわからず、間に出てくる色物…漫才・漫談・ものまね・奇術、そっちに興味がいくわけです。それで『モノマネをやりたい!』と思って芸人になるわけですから、父親の影響はものすごく大きかった」と、自身の父親との関係性を振り返る。
■今度は父親として…
映画の主人公のようにいがみ合うことはなく、「高校を出てすぐ片岡鶴八師匠の弟子になって、親元を離れて自分の人生を歩み始めた。『私は私の道を行く』で生きてましたから。父親・母親は一番の応援団で、それを黙って見守ってくれていた」としみじみ。
片岡の父親は1年ほど前に他界しているが「私は、幸い父親と『最近どうなんだ』なんて話ができたので、(父が亡くなったときも)さほど後悔はなかった」と言い、「今度は私が父親として、後悔する親子関係にならないよう、子供たちとは話したりしますね」と明かす。
■全ては「自分の決断」
タレント業のほか、画家、書家、ボクサー、ヨガ実践家と、たくさんの顔を持つ片岡だが「子供の頃から『かっこいいな!』って思うことしかやってきていない」ときっぱり。
「(なにかを始めるときに)人に相談したこともないんですよね。自分の決断、『これをやりたい!』って思ったものをひたすら信じてやってきた」と笑顔をみせていた。
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(文/Sirabee 編集部・たつき あつこ)