タクシー乗車時に意味深な一言、向かった先は… 「伝説の看板」に注目集まる
旅先のタクシーで質問を投げかけると、運転手が笑顔に。行き先には鹿児島県・志布志市の「名物」が…。
観光地で生活している人々からすれば、地元の風景はまさに見慣れた存在だろう。しかし旅行客からすれば「画像や映像でしか見たことがない」光景を目の当たりにした際の感動はひとしおである。
以前ツイッター上では、ある旅行客とタクシー運転手の「微笑ましいやりとり」に注目が集まっていたのをご存知だろうか。
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■「あの看板が見たい」と伝えると…
今回注目したいのは、旅人・村中さんが投稿した1件のツイート。
こちらの投稿には村中さんと、タクシー運転手のやりとりが記されており、村中さんが「志布志市役所までお願いしますー。あの有名な看板が見たくて」と意味深な目的を伝えたところ、運転手からは「ん? 志布志市志布志町志布志の〜ってやつか?」と、ノリノリな回答が。
そしてタクシーに乗車し、到着した先の看板を見ると…そこには「こちらは、志布志市 志布志町 志布志の志布志市役所本庁・志布志支所です」という、衝撃的な説明文が確認できたのだ。
■やはり地元でも有名なのか…?
もはや「致死量」といっても差し支えないレベルで大量の「志」が記された鹿児島県志布志市(しぶしし)の看板は、そのインパクトからネット上ではかなり有名。やはり地元でも「あの看板」と伝えただけで、ピンとくるような存在であるようだ。
前出のツイートは投稿から数日で1,000件近くものRTを記録しており、他のツイッターユーザーからは「運ちゃんが察するほど、事例があるのか…」「早口言葉みたい」「運転手さんが『しぶしぶ』でないのが惜しい」など、反響の声が多数寄せられていた。
ことの経緯についてツイート投稿主・村中さんに尋ねたところ、「2022年9月の台風14号の影響で一部区間が不通となっていたJR日南線がついに全線復旧すると聞いて、同線に乗るために鹿児島県志布志市へ行きました」「志布志市志布志町志布志の…という看板は以前より、ツイッターなどで何度も見たことがありました。なので志布志に行くとなったら、この看板は見ておきたいとかねてから思っていました」との回答が。
そうした背景もあり、タクシー乗車時に前出のような会話があった件については「運転手さんのリアクションの感じから、地元では(看板について)割と知られてるのかな? と思いました」とも振り返っている。
そこで今回は「ネット上であまりに有名な看板」が、現地の人々にどのように認識されているのかを探るべく、志布志市役所に詳しい話を聞いてみることに。
■「志布志市」の知名度に驚き
話題の志布志市は「志布志町」「有明町」「松山町」の3町合併により2006年(平成18)年1月1日に誕生した市で、人口は29,714人(2023年2月末時点)だという。
早速、話題の看板について尋ねてみると、志布志市企画政策課 広報担当者からは「お問い合わせの看板は、合併を機に設置されたものとなります」「設置以降、全国の珍地名を紹介する番組や、各バラエティ番組などで取り上げて頂いております」との回答が得られ、やはり全国規模の知名度を誇る看板であると、改めて判明。
その影響力は非常に大きいようで、「各媒体に取り上げて頂いた結果、看板の前で記念撮影をされる観光客が増え、一つの観光資源となっている状況です」という、驚きのコメントも得られたのだ。
同市には大阪-志布志間を運航する『フェリーさんふらわあ』が存在するため、県外からのライダーやサイクリストが記念撮影し、SNSに写真を多数投稿しているという。
担当者はさらに「地元でも、看板の知名度は高いです」「『ZIP!』(日本テレビ系)の鹿児島向けCMでも、水卜麻美アナウンサー(祝ご結婚!)が県内の各地名を読み上げ、最後には『志布志市志布志町志布志!』と、早口言葉のように読んでくれています」と、水卜アナへのお祝いの言葉を口にしつつ、地元ならではのエピソードを紹介してくれたのだ。
■知名「志布志」の由来は…
そんな志布志市は、豊かな自然に恵まれて農業が盛んな地で、うなぎ、ちりめん、茶、イチゴ、メロン、鹿児島黒牛、かごしま黒豚などが有名。
また、国際バルク戦略港湾「志布志港」を中心に産業も発展しており、東九州自動車道、都城志布志道路の整備も進められている。
古くから港町として発展した志布志地区は、家が建ち並ぶ様子から「志布志千軒町」とも呼ばれていたそうだ。日本遺産に認定された中世の「山城志布志城」は続日本100名城に指定され、こちらを目当てに毎年3,000人近い観光客が同市を訪れている。
ちなみに「志布志」という珍しい名前の詳細について、志布志市 担当者は「地名の由来には、天智天皇が関わっているといわれています。天智天皇遷幸(せんこう)の伝説において、天皇に布を献上した妻女の優しい心にならって、召使いの女性も布を献上したところ、天皇がいたく感激して『上下より布を志す誠にこれを上下の志布志である』といわれ、地域の方々が『志布志』と呼ぶようになったと伝えられています」とも説明していた。
なお、市内には「天智天皇のお手植え」といわれている「安楽山宮神社の大クス」が存在するようだ。
今回またしても、看板効果によって人々の注目が集まった件について、同市からは「今後も志布志市が『志布志市志布志町志布志の志布志市役所本庁・志布志支所』の表記のように、なが~~~く愛される、志あふれる街になるようにPRしていきたいと思っています」と、ユニークなコメントが寄せられている。
ちなみに、2019年度には志布志港にも新たな地名看板が設置されたそうで、志布志市を訪れる際は市役所だけでなく、こちらも併せてチェックしておこう。