ダルビッシュ有と組むときはミットを… 元日本ハム・鶴岡慎也氏が苦労を告白
日本ハムでダルビッシュ投手とバッテリーを組んだ鶴岡慎也氏が当時の思い出や苦労を語った。
■バッテリーを組むきっかけは?
ダルビッシュ有投手との出会いや初対面の印象を語った鶴岡氏。バッテリーを組んだきっかけを質問されると、「2006年にダルビッシュ投手がシーズン序盤、先輩のキャッチャーと組んだんですけど、勝ち星が続かなくて」と振り返る。
そして「鶴岡(マスクを)被ってみろってなったときに、たまたま抑えて。次も被ったらまた、たまたま抑えて。たまたまが3回続いて、そこからずっと彼が投げる試合は被らせてもらったんです」とコメント。
さらに「本当に彼のおかげで自分の実力以上に試合に出られたし、日本シリーズとかプレーオフとかも経験させてもらったので。彼には感謝しかないですし、 彼がいなかったら19年絶対にプロ野球でできていないって、僕が言うんだから絶対できていないんです」と力説した。
■追いつくために必死だった
MCのフリーアナウンサー・真鍋杏奈は「ご本人(ダルビッシュ投手)は性格的な部分をバッテリーとして大事にしていて、『若いときに自分がすごくわがままで、それを全部鶴岡さんが受け入れてくださった』っていうのを、お話されてましたけれども」と質問する。
すると鶴岡氏は「そんな感覚はまったくないですね、ゼロです。ドラフト8位のプロ野球のもうクビになるかならないか寸前の選手だったので、その選手と球団がすごく 期待しているドラフト1のピッチャーが組んだら、さあどうなりますってなる話じゃないですか」と話す。
続けて「ということは僕が受け入れたとかではなく、レベルの差がありすぎたので、僕がそこに合わせるのが必死だったということです」とコメントした。
■ミットを変えていた
さらに「ダルビッシュ投手を受けるときはミットが違ったと聞いた」と質問されると、「彼のときは手のダメージがデカいんです、純粋に。球が速いし、キレがあるんで」と鶴岡氏。
そして「ちょっとミスキャッチをすると手が痛かった。ちょっとブ厚めで硬めのミットで、人差し指のところにパットをしながら」と明かしていた。