TOKIO、オリコン初1位は7年がかり 喜ぶ周囲に「なんかすみません」
『TOKIOカケル』で松下洸平が自身の楽曲について言及。TOKIO・国分太一らも自分達の曲を振り返り…。
■歌手としての葛藤
松下は2008年21歳でシンガーソングライターとしてデビューするも「あまりちゃんと結果が出なかった」と回顧。その後、ミュージカルに出会い俳優の道に進み、現在のブレークにつながったと明かされる。
歌手をあきらめて俳優として多忙な日々を過ごしながらも、10年間コツコツと曲を書き溜めていた松下。再びシンガーソングライターとしての道がひらけて「(曲を)リリースできるようになったので、ありがたいです」と笑顔をこぼした。
■TOKIOを重ねる
10年かけて数々の楽曲を発表できるようになった苦労人の松下に、国分太一らは自分達TOKIOを重ねる。
「僕らだってデビューして何年目でやっと1位とれたんでしたっけね?」と吐露すると、城島茂は「7年半かな」と言及。デビューから7年目、2001年に発売された22枚目のシングル『メッセージ/ひとりぼっちのハブラシ』でオリコン週間シングルランキングで初めて1位を獲得したと懐かしんだ。
■後輩やスタッフが…
松岡昌宏は「我々がとったとき、我々よりも後輩が喜んでくれた。『やっとTOKIOが1位とれた、よかった』みたいな。『なんかすみません』でしたよ、後輩達に対して(気を遣わせて)」と当時の心境を明かす。
国分は続けて「周りのスタッフも含めて、僕らより喜んでくれる人が多かったですよね。みんな心配してたんだね」と苦笑。松岡も「ホント申し訳ない」と追従した。
■当時を知る視聴者も
オリコン1位に輝くのに7年かかったTOKIOが、当時の心境や周囲への感謝を漏らした今回。
当時を知る視聴者からは「そなのよ。TOKIOも苦労人、1位なかなか取れなかったのよね」「心配ってより安心したかな、でも1位とれたときうれしかったね」「7年目の1位…でしたねえ…事務所みんなに心配されてたんだな」といった声が散見されていた。
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(文/Sirabee 編集部・サバマサシ)