森保一監督、幼なじみが語る”意外な学生時代” 「相手選手に飛び蹴りを…」
サッカーW杯で注目される森保一監督。彼の知られざる人柄を取材してみると…。
2日(日本時間)、サッカーワールドカップ(W杯)・1次リーグのグループEで、日本対スペイン戦が行われる。日本が決勝トーナメントに進めるかを左右する重要な一戦とあって、森保一監督の采配に期待がかかる。
今大会でにわかに注目を集める森保監督、いったいどんな人物なのだろうか…。
■W杯で注目を集める「手腕」
森保監督は1987年にJリーグの前身となる日本サッカーリーグのマツダ(現サンフレッチェ広島)に入団。92年に日本代表に初招集された。
2004年に現役を引退し、2012年からサンフレッチェ広島のトップチーム監督に就任し、4年間でJリーグ優勝3回という快挙を成し遂げた。今大会でも、優勝候補のドイツ相手に逆転勝利するなど、監督としての手腕が評価されている。
■小学生の頃から持っていた「スキル」
幼少期の森保監督は名古屋・神奈川・佐賀と転校を繰り返し、小学校1年生から長崎に定住。以降、長崎の中学校・高校へ進学する。
森保監督はどんな学生だったのだろうか。小学校から高校まで同じ学校でサッカーをプレイした幼なじみで、現在は長崎市の立ち飲み居酒屋「ぽいち」で店長を務める樋口紀彦さんに話を聞いた。
小学生の頃から高い運動能力を持っていたそうだが、こんなスキルも…。「フォワードやキーパーとポジションが色々変わったのですが、フォワードの時は『どうやって点を取るか』を常に考えていましたね。キーパーのルールは色々変わっていて、昔はキーパーがボールを取って下に置いてドリブルすることができました。そのボールを奪って点を入れるなど、頭を使っていた印象です」(樋口さん)。
■「自分のことより周りを考える」
頭脳的なプレイをし、高い技術を持つ森保監督は後輩にも優しく、慕われていたという。ただ、大事な仲間が傷つけられると厳しい一面を覗かせることもあった。
「高校の練習試合で、後輩が相手選手からひどい反則をされてしまったことがありました。すると、彼はその反則をした選手に飛び膝蹴りをしたんです。後輩思いで、仲間がやられたのでやり返したのでしょう。自分のことよりも、常に周りのことを考える人でしたね」(前出・樋口さん)。
大人になってからも周りを気遣うところは変わらない。「新年になると、地元の長崎で同僚や後輩達と初蹴りと称してサッカーをします。集まった人達で代わる代わる試合をするのですが、どうしても出られない人もいます。すると、はじめ君は『出とらん者おるけど大丈夫か?』と気にかけていました」(前出・樋口さん)。
■お店でも優しさが垣間見えて…
樋口さんの店名である「ぽいち」は森保監督のあだ名から取ったとのこと。本人がお店に来ることもあるそうだが、ここでも彼の優しさが垣間見えて…。
「2019年11月に長崎市長と表敬訪問があってお店に来てくれました。その時同行していたJFA(日本サッカー協会)のスタッフに気を遣ったのか、こそっと私に『皿うどん取ってあげて』と言っていました。そうやっていつも周りのことを考えるところは子供の頃から全然変わりませんよ」(前出・樋口さん)。
森保監督の優しさは選手達の支えになっているはずだ。
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(取材・文/Sirabee 編集部・斎藤聡人)