タモリ、善光寺誕生の物語にびっくり 「すごいですね、この結びつき…」
善光寺の始まりの物語で語られた驚きの展開に、タモリは「え!?」と衝撃を受け…。
12日に放送された『ブラタモリ』(NHK)では、タモリ一行が長野県長野市にある「善光寺」を訪問。そんな善光寺の「始まりの物語」が明らかになった今回は、その内容にタモリが驚いた。
■お宝「善光寺縁起」
「善光寺はなぜ多くの人を引きつける?」という謎に迫ることとなったタモリ一行。その中で、善光寺が多くの人に知られるようになったきっかけを知るため、タモリ一行は善光寺が有名になったことが分かる「お宝」が眠る宿坊へとやって来た。
すると、この場所の住職は、善光寺ができるまでの物語が絵巻になった「善光寺縁起」という、江戸時代のお宝をタモリ一行に紹介する。
■始まりはインドから
住職によると、この物語はインドから始まるとのこと。あるとき、あまねく人々を救う存在として、阿弥陀如来が現世に姿を現したという。
その後、この如来は仏像の姿となり「次に救うべき土地がある」と、西暦552年に日本へと渡る。そして初めて日本に来た仏像は、天皇の前で「どうするべきか」という論議がなされたとのこと。
■如来は大変な目に…
だが「仏を廃すべし」という人たちによって、この仏像は難波(現在の大阪)の堀江に捨てられてしまう。また、この仏像は一度助けられるも、今度は鋳つぶされてしまいそうに…。ところが何ともならないため、また堀江に捨てられてしまった。
そこで、善光寺の名前の由来となった庶民の本田善光という人物が現れると、如来は善光の背中に飛び乗り、7日7晩にわたって善光を背負ったり、背負われたりしたとのこと。
■「恋愛ですね」
そんな中、この展開に「え!?」と衝撃を受けたタモリ。善光と如来の強いつながりに「すごいですね、この結びつき…」「恋愛ですね」と驚いた。
しかしその後の物語では、善光の息子が亡くなり地獄へと落ちてしまう。そんな息子だったが、地獄で皇極天皇と出会い、如来の導きで現世へとよみがえったとのこと。
そして感謝の思いを持った皇極天皇が、如来のいる善光の家をお寺にするよう勅命を下したことで、善光寺が誕生したそうだ。
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(文/Sirabee 編集部・綿 つゆ子)