担当患者にドナー見つからず究極の選択をした医師 「では私の腎臓を」
ドナーになり誰かの命を救うことは、医学部で学んでいた頃からの長年の夢だったという。
7月、アメリカ・メイン州の大きな病院に勤務する医師が、自身がドナーとなり患者に腎臓を提供し、人々の大きな関心を集めた。『abc17 News』の報道に続き、このほど行われた『PEOPLE』とのインタビューも話題を呼んでいる。
■「多発性嚢胞腎」と診断
アメリカ・メイン州のポートランドにあるメイン・メディカルセンターで、医学部長を務める腎臓内科のアジ・ジャマリ(Aji Djamali )博士。彼は今年7月、ジョン・ジャーツさんさんという男性に自分の腎臓を提供した。
ジャーツさんは7年前、ウィスコンシン州のUW ヘルス・ユニバーシティ病院で、両方の腎臓に液体で満たされた嚢胞が次々と生じる「多発性嚢胞腎」という遺伝性の病気と診断された。腎移植を行わなければ、長くは生きられない難病だった。
■B型の血液型は米国ではまれ
ジャマリ博士は当時その病院に勤務しており、ふたりは医師と患者の関係だったが、メイン州の病院に移ってからは友人として交流。頻繁にメールを送り合っていたという。
ジャーツさんの血液型はアメリカではきわめて少ないB型で、適合するドナーがまるで現れないことを博士は気にしていた。順番の関係で、遺体からの提供でも7年ほど待つだろうという予想に、同じくB型の自分がドナーになると決意したという。
■同僚が健康な腎臓を摘出
まずは昨年10月、3人の子供が成人して大学に進学したところで、ジャマリ博士はUW ヘルス・ユニバーシティ病院勤務時代に結ばれた医師の妻に相談した。
そして彼女の許しを得ると、自身の生死にもかかわるリスクを覚悟のうえ、ジャーツさんに「君のために僕がドナーになる」と申し出た。ジャーツさんは彼の温かい心、友情に涙でボロボロになったという。
生体腎移植を望むジャマリ博士の強い意志は固く、手術は同僚であるメディカルセンター臓器移植チームにより6月29日に行われた。その後は奇跡的な回復をみせ、なんとたった2週間で職場に復帰している。
■「ドナーになることは長年の夢」
このほど『PEOPLE』のインタビューに応じたジャマリ博士は、「自身がドナーとなって誰かの命を救うことは、医学部で学んでいた頃からの長年の夢でした」「ドナーには常に畏敬の念を抱いていたのです」と語った。
身をもってドナーの心理や体の変化などを知ることができたことは、医師としても大変有意義な体験だったとのこと。また、自分が提供した臓器が友人の体のなかで生きていることについては、「まるでわが子の成長を見守るような気持ち」と嬉しそうに話している。
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(文/Sirabee 編集部・浅野 ナオミ)