路上で遭遇した看板「2文字」が謎すぎると話題 この先に何があるんだ…
街中で見かけた謎の「2文字」が書かれた看板。他県(市)民からすると、さっぱり意味が分からない内容だが…。
■長崎市でも「若い世代」の反応は…
長崎県民以外は「???」になる看板 pic.twitter.com/XuoYJm73Rw
— たこちゃん (@yusuke021221) August 15, 2022
8月15日に長崎市内で車を運転している際、こちらの看板を見かけたたこちゃんさん。
同乗していた我が子に何気なく「こも」を知っているか尋ねたところ、「お盆の時期によく見るけど、何かは分からない」と返ってきたことをきっかけに、今回のツイートを投稿したそうだ。
たこちゃんさんの話を聞いたところ、件の「こも」はお盆の行事における「精霊流し」(「精霊船」と呼ばれる船に故人の霊を乗せて見送るもの)と縁の深い物体(?)であることが判明したが、一体どのような特徴をしているのだろうか…。
そこで「長崎学研究所」の担当者に、件のツイートを見てもらったところ、「一般的・全国的な意味合いでの『こも』は、真菰(マコモ)を粗く織って作ったむしろ(敷物)を指しますが、現在では別の素材を用いる場合もあります」「今回話題になっている、精霊流しにおける『こも』は、前出のむしろに供物を包んだもので『精霊菰』と呼ばれる場合もあります」というコメントが得られたのだ。
■そんなに昔から続いていたのか…
大正14年(1925年)刊の『長崎市史風俗編』では「精霊船を流さない家については、単に精霊棚の菰に供物を包み、線香などを添え、海や最寄りの川に流す」といった記述があるように「こも」は長崎市のお盆には欠かせない存在であるそう。
担当者曰く、「長崎では、旧7月13日(新暦で8月13日)の夕刻に『精霊棚』と呼ばれる出仏壇を作り、棚の敷物に菰を用います。そこに位牌や供え物を並べたのち、15日の夜には菰に供え物を包み込んだ精霊菰を作り、線香などを添えて海や最寄りの川に流しています」とのこと。
また歴史ある市内の精霊流しの起源については定かではないが、江戸時代には実施されており、精霊菰に関しては文政年間(1820年ごろ)に既に成立していという。
また、担当者は「海や川に流さず『流し場』に持参する現在の方法は、明治10年代には行なわれていたと考えられます」とも補足しており、改めて市内における精霊流しの重要性が感じられたのだ。
■「こも」の今後は果たして
なお今回は、あくまで「長崎市」における文化に注視したため、他地域における「こも」の立ち位置や詳細は不明だが、諫早市、島原市、佐世保市などでも毎年8月15日には精霊流しを実施しており、やはり県内では馴染み深い地域が多いようだ。
しかし一方で若い世代の中には、精霊流しを知っていても「こも」は知らない、という人も珍しくないのかもしれない。果たしてこれらの文化は県内(市内)で、どのように受け継がれていくのだろうか。
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(取材・文/Sirabee 編集部・秋山 はじめ)