ソマリアで拉致されたジャーナリストが穴を掘り脱走も… 恐怖の日々を回顧録に
穴が十分な大きさになり脱走には成功したが、武装集団はそれを容赦しなかった。
ソマリアでは、30万人超の死者を出した内紛に続き、2000年代後半には海賊による野蛮な事件が周辺海域で多々発生した。2008年、その取材を試みたオーストラリアのジャーナリストが武装集団に拉致され、人質にされたものの自力での脱出に成功したのだが…。
このジャーナリストによる回顧録が高い関心を集めていることを、オーストラリアの『7News』が報じた。
■滞在4日で事件が発生
2008 年8月20日、オーストラリア・クイーンズランド州出身のナイジェル・ブレナンさんは、1週間ほどの予定でソマリア取材を試みた。
彼はカナダ人ジャーナリストのアマンダ・リンドハウトさんと行動をともにしていたが、滞在4日目に武装集団に襲われ、車から引きずり降ろされると別の車に乗せられ、知らない場所に拉致・監禁された。
犯人グループはブレナンさんの妹に電話し、ふたりの身代金は300万豪ドル (約2億8,500万円)だと告知。事件はそれぞれの母国でも報じられた。
■穴を掘って脱出に成功も…
ブレナンさんはイスラム教に改宗する命令を受け入れ、聖典「コーラン」を手に取るなど従順な姿勢をみせたが、一方で爪切りを使って床を傷つけ、少しずつ穴を掘ることを続けていた。
そしてある日、彼はリンドハウトさんを連れて脱走に成功。モスクに逃げ込んだが、そこで銃声が鳴り響き、ふたりは再び拉致されると新しい家で鎖でつながれた。ひどい絶望感からともに心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症し、その治療はいまだに続いている。
■家族のおかげで
その頃、ブレナンさんとリンドハウトさんの母国では、彼らの救出を願う募金活動が活発化していた。家族は借金をし、自宅や車を売り払い、なんとか60万豪ドル(約5,700万円)を調達。ここで犯人グループとの身代金交渉が成立し、解放が決まった。
だが武装集団を相手に命がけの日々が473日間も続き、何度も殺されそうになった体験から、ふたりは人を信じる心を失っていた。ブレナンさんはナイロビで姉と母の顔を見て、やっと人間らしさを取り戻したという。
■豪政府の頑なな方針
ちなみに、オーストラリアは「テロには屈しない。犯人に身代金は払わない」という方針を徹底している。犯人グループとの交渉は民間のコンサルタントやネゴシエーターに任せられるため、今回もクイーンズランド州警察やオーストラリア外務貿易省は傍観していたに等しいという。
そのあたりへの大きな不満も含め、ブレナンさんはこのたび実妹、義理の妹と共同で回顧録『Price of Life』を出版。人質事件を早く解決し、資金調達に苦しむ家族を支援するため、政府にもやるべきことがあったのではないかと話題になっている。
■カナダの警察が犯人を逮捕
なお、リンドハウトさんも自身の著書『A House In The Sky』で犯人グループによる拷問、殺害の脅迫について生々しくつづっているが、カナダ政府は事件について無関心というわけではなかったようだ。
2015年、王立カナダ騎馬警察はその犯人グループのトップであるアリ・オマール・アデル(Ali Omar Ader)という男を逮捕。裁判で、懲役15 年の実刑判決が言い渡されたことが報じられている。
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(文/Sirabee 編集部・浅野 ナオミ)