高畑裕太、独占告白「本気でやりたいと思った」 初めて語った介護と遺品整理の仕事

2016年以降、表舞台から姿を消していた高畑裕太。6年間のことを赤裸々に語った…。

高畑裕太

「ちょっと緊張しますね…」──。5月某日、約束していた都内某所に現れた高畑裕太は冗談交じりに話す。緊張するのも無理はない。高畑がメディアの取材に応じるのは、「あの日」以来初めてだったからだ。

ひそかにこなしていた遺品整理と介護の仕事、2019年に芸能界に復帰した際の心境…。高畑のインタビューを2回に渡って詳報する。

【写真】介護の話をする際は笑顔を見せて…


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■「社会復帰するため」

高畑は女優・高畑淳子の長男で、12年のドラマ『あっこと僕らが生きた夏』(フジテレビ系)で俳優デビュー。15年にはNHK連続テレビ小説『まれ』に出演し、広く認知された。

天然なキャラクターでバラエティでも人気を博し、芸能生活が軌道に乗り始めていた。しかし、16年に強姦致傷容疑で逮捕され(後に不起訴処分)、世間に衝撃を与えた。

高畑裕太

しばらく表舞台から姿を消していたが、ひそかに遺品整理のアルバイトをしていた。

「保釈されてから精神病院に入院し、1年ほど海外でバックパッカーをしました。帰国して、賠償金などで支払いをしてお金が必要だったのと社会復帰するためにバイトをしようと思いました。僕はONEOR8という劇団の芝居がすごく好きで、以前その劇団が特殊清掃をテーマにした舞台をやったことがありました。その芝居を見て興味を持っていたのと母親が遺品整理のドラマに出ていたこともあって、やってみようと思ったんです」。

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■「怪現象」にも遭遇

亡くなった人の家を掃除するのは、ときに家中ゴミの山だったり、乾いた遺体が灰になってしまって大変だったそうだが、やりがいがあったという。

「芸能界に入る前にいくつかバイトをかけ持ちしたこともありましたが、それはお金を稼ぐことが目的でした。遺品整理のバイトは、自分で選んで働きたいと思って始めたんです。亡くなった人の家を整理して、生きていた痕跡を見て、他人の生活を垣間見るなど刺激的な仕事でした」。

ただ、「怪現象」に襲われたことも。「ポルターガイスト現象が起きたんです。遺品整理の現場では、ご家族の許可をいただければ、遺品をもらえることがありました。当時、僕は一眼レフカメラで写真を撮ることにハマっていたので、現場にあった立派なカメラを持って帰ろうとしたんです。その瞬間、突然テレビがついて…。周りの人は誰もリモコンに触ってなかったので、驚きましたよ」。

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■出勤初日、まさかの「トラブル」

高畑裕太

2年ほど遺品整理の仕事をした後、18年から介護施設で働き始めた。

「遺品整理の仕事でお世話になった上司がいて、その人から紹介してもらいました。昔、障がい者のグループホームの様子を描いた宅間孝行さんの『くちづけ』という舞台を見て以来、介護の仕事に興味があったんです。ただ、介護業界はアルバイトで働けるところが少ないこともあり、障がい者施設では募集がなかったため、老人介護施設で働くことになりました」。

新天地で一念発起しようとした高畑だったが、予想外の「トラブル」が…。

「出勤初日、ある週刊誌に僕のことが書かれてしまったんです。その朝、施設に行くと上司から応接間に呼びだされて、『高畑裕太という本名で仕事をすると、高畑くんも気を遣うだろうし、利用しているご家族の方も困惑するかもしれない。苗字だけでも変えたらどうかな?』と提案されました。僕のことを気遣って、事情を汲んでくれたんです。施設では父方の姓を名乗ることにしました。ただ、施設の職員や利用者の方に自己紹介したのですが、事情を知らないインターンで来ていた人が僕に気づかず、『きみ、高畑裕太にすごい似てるね! あいつ好きだったな~』と言われました(笑)」。


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■「いろいろなことを同時にやる」

高畑裕太

そんな苦労もありつつ、仕事に没頭していった。介護の仕事は大変だったのではないか。そう尋ねると、頭を使わないと1日が回らなかったと話す。

「朝、送迎に行くところから始まります。意思表示ができないけど手が動かせる方には塗り絵やパズルをしてもらい、そうしたレクリエーションに興味がない方にはお茶を飲みながら冗談も交えつつ話をします。午前中から午後にかけて順番に入浴介助や体操をしてもらい、昼食後もそうしたレクやお話をして、ご自宅に送る…。いろいろなことを同時に進めないといけないので、この時間はこうしようと計画立てて動く必要があります。人によってサービスも変わるので、1時間でこの人には塗り絵やレク、この人には入浴介助…と聖徳太子のように1人でいろいろなことをやらないといけないんですよ(笑)」。

話を聞く限りではハードワークに思えるが、高畑の話しぶりからは悲壮感は感じられず、むしろ楽しんでいるようにも見える。3年間働いたというが、今でも手伝いに行くことがあるようで…。

実は、この取材を受ける前日も、施設の人に『ゴールデンウイークで働ける人が少ないから入ってほしい』と言われました。指定された期間は午後から芝居の稽古があったので、3日間午前中だけ働かせていただきました」。

遺品整理、介護の仕事で経験を積み、19年には舞台『さよなら西湖クン』で芸能界に復帰した高畑。だが、表舞台に立つまでにはさまざまな葛藤があって…。(※後編に続く)

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(取材・文/Sirabee 編集部・斎藤聡人

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