広島原爆投下から75年 後遺症で姉を喪った心優しきゲバラ主義者・亀井静香が見た閃光

広島・長崎への原子爆弾投下から75年。広島県出身の亀井静香元衆院議員が語った原爆体験とは。

2020/08/06 11:40

■亀井氏のゲバラ礼賛

亀井氏はゲバラの魅力について、筆者に以下のように語っている。

「あの方はねえ、自分の人生を、圧政と貧困に苦しむ人たちに捧げたんですよ。ゲバラはアルゼンチンのロサリオ市に生まれ、ブエノス・アイレス大学の医学部に入る。そして、大学時代にチリ、ペルー、コロンビア、ベネズエラなどを貧乏旅行して、ラテン・アメリカの貧しい過酷な現実を知ります。


それで、医学部を卒業した後、グアテマラに渡って革命派のアルベンス・グスマン政権のために働いたのですが、その政権は反革命軍の手によって打倒されてしまいます。


そこで、今度はメキシコに行き、キューバから亡命していたカストロたちと出会い、彼らと一緒にキューバに行って、医師として活躍する一方、ゲリラにも参加し、ついにキューバのバティスタ政権を打倒するのです。このときの革命の方法を理論化したのが『ゲリラ戦争』で、ラテン・アメリカの革命家たちのバイブルとなりました。


ゲバラは軍人としての才能もあり、革命が成功したあと、国立銀行総裁や工業相などを歴任しているのですが、人間の意識革命の必要性を、熱心に説いたのです。社会全体に奉仕する自発的で献身的な『新しい人間』の形成が、何よりも重要だと主張しました。


そうして、自分の人生を、圧政と貧困の中で苦しんでいる人たちの救済に捧げました。自分の人生を全部捨てて、人の痛みを少しでも和らげようとしたわけです」


ゲバラ好きな亀井氏は、警察官だった頃に拘禁ノイローゼでやったこともないことをやったと認めてしまう被疑者たちを多く見てきたという。「これでは冤罪から免れない」と悟り、死刑廃止派になった。


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■政権交代前夜にインタビュー

亀井氏から原爆体験を引き出したのは、今から12年前の2008年8月のことだった。当時は自民党総裁選の最中で、福田康夫首相の後を決める選挙。本命の麻生太郎に、与謝野馨、小池百合子、石原伸晃、石破茂が臨む構図だった。

テレビなどで5人がキャンキャン吠え合っているのを見て、自民党総裁という椅子もだいぶ軽くなったものだと思ったものだが、亀井氏は意気軒昂、「総裁選で自民党はドンチャン騒いでいるが、次の選挙で自民党・公明党をひっくり返して、政権交代だ」と息巻いていた。

いわば、インタビューしたのは、政権交代前夜のときである。そのときのインタビューで、筆者は「亀井先生は7歳で原爆の閃光を見た、と伺いました」と質問すると、原体験を次のように語った。

「私は小学生でした。広島県比婆郡山内北村という片田舎で、食料がなかったから、児童みんなで校庭に芋畑をつくるために、芋を植えていました。夏休みなのに、学校に行って、芋作りするために、校庭にたまたまいたんですよ。


山の向こうからピカーっと空に鮮烈な光が見え、キノコ雲が上がって、とてつもない地響きが伝わってきました。大変なことが起きたんだ……と幼心でも感じられました。


数日後、服も着ずに肌が焼け爛れ、逃げてこられた人が多くおられたのを現在も記憶しています」

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