唐田えりかに復活のチャンスはあるのか 芸能スキャンダルの罪と罰
芸能スキャンダルの罪と罰(制裁)について、まずは東出昌大と唐田えりかの不倫から考えてみよう。
東出昌大と唐田えりかの不倫は、久々に日本中を大騒がせしている。2人の役者人生、とくに唐田えりかの女優人生は既に絶望的と言われている。ここではその是非について、タレントスキャンダルの罪と罰について、考えたい。
■映画監督も声を上げる
沢尻エリカの薬物所持逮捕のときには、映画監督白石和彌が「大河の撮り直しは必要ない」と作品を守るよう声高に主張している。白石監督は、スキャンダル時のタレントへの私的リンチに対し、声を上げている第1人者だ。
本人を守るか作品を守るか、様々あるが、まずスキャンダルの内容を考えなくてはいけない。冒頭に挙げた不倫騒動についてまず考える。
不倫は民法上の不法行為であり、 重大な処罰案件であるという考えもあるようだ。しかし民事か刑事かの区別は大きい。民事事件というのは金銭で解決可能なものである。法的にはそれ以上の罰を受ける必要はない。
■芸能人は社会の模範?
また1つ大きな論点は、「芸能人は社会の模範であるべき」という論理である。わからなくはない。不倫は社会道徳上にとっても良くないことである。堂々とタレントとして活躍してもらっていては困る、何らかの制裁を受けねばならない。この考えはあるだろう。
罪の償い方は、 自分ができることを精一杯することではないのか。しかしどうもこの考えは受け入れられがたい。レヴィ・ストロースという大哲学者・人類学者も言っているが、西欧では労働は苦痛でしかないのに、日本では偉大な営みとなっている。
「謹慎で仕事しなくてラッキー」ではなく、仕事を奪うことこそが日本では重大な制裁である。文化事情というのはとても大きい。日本のスキャンダルでの制裁に仕事を奪う罰は必然である。