日銀出身の36歳、小倉將信衆院議員 一日遅れていたら政治家になっていなかった
総務政務官を務める小倉將信議員。なぜ日銀を辞めて政治の道に進んだのか、直撃。
■日銀で得たものとは
一晩で論文を書き上げたのは、すさまじい集中力だが、「学生時代から論文を書くのは好きだった」と語る小倉議員。
小倉:物ごとを分析して文章にまとめる技術は、日銀に入ってからも非常に鍛えていただきました。今の仕事にも活きている面があります。官僚に頼らずに一から政策文書を書ける政治家は多くないので、重宝していただいていますね。
一方で、日銀にいた期間は8年弱なので、永田町では「日銀出身で金融の専門家」とされていますが、私自身としてはおこがましいという思いもあります。一口に金融といっても、その業務は融資業務や国際金融、株や債権の売買、送金などの決済業務から金融政策まで、多岐にわたりますので。
もっとも、金融の仕組みを理解するベースができているので、Fintechやキャッシュレス決済などの新しい政策の議論をする際には役立っています。専門知識は、国会議員になってから勉強したことも多いです。
■世襲でないゆえの「強み」
転職を考えていたときに、偶然も重なって政治家への道が開けた小倉議員だが、そもそも選択肢の中に政治家が入ったのは、どのような背景だったのだろうか。
小倉:「自分に多少なりとも能力があれば、それを社会に還元しなさい」というのが、父親の口癖でした。日銀でも、公のためにつくすという軸はぶれていなかったと思います。
ただし、その目的を果たす仕事として、民間のファンドマネージャーとして経済の発展に貢献するという道もあったでしょうし、もし公募を知るよりも先に転職活動を始めていたら、少なくとも政治家になるのはあの時期ではなかったはずです。
世襲ではなく、民間への転職も考えながら政治の道を選んだため、「一般の感覚を忘れたくない」という思いが強い。
小倉:政治活動でも選挙活動でも「政治家に染まらないようにしたい」というのは常々意識しています。いま世間が政治家に求めているものは、自分達と同じ感覚を持ってくれることではないでしょうか。
卑近な例ですが、街頭で聞いていない人に向かって大きな声で挨拶や演説をすることは普通の感覚ではありません。でも、日々それをやり続けていると、いつの間にかに慣れてしまいます。
しかし自分が通勤する立場だったら、果たして朝からうるさくしている人にシンパシーを感じるだろうか、と思うんです。お伝えしたいことはビラにまとめて配布するだけにとどめて、あとは「いってらっしゃい!」とご挨拶だけにしたほうがいいのではないか、と思います。
こうした選挙運動から政策、国会での立ち振る舞いまで、議員になる前の自分だったらどう感じるだろうかという感覚を忘れずにいたいです。