明治時代、醸造研究者が立ち上げた長岡の酒蔵 速醸酛を産んだ『お福正宗』の蔵元

日本酒のつくり方には「生酛」「速醸酛」があるが、現在多く採用されている速醸酛はこの蔵が発祥。

お福正宗

お福とはお多福とも表現、神仏から授かった品物や幸運のことだ。この福々しい名を冠したお福酒造の蔵は、長岡市街の南東部、長岡東山山系の麓に建っている。


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■コメの旨みを重視した『お福正宗』

お福正宗

長岡市に合併されたが、豪雪で有名な旧山古志村の玄関口に当たる。 蔵に隣接する茅葺き屋根の家屋は、宝暦年間(1751~1763)より代々の当主に守り継がれてきたもの。

高さ4m近い天井、池泉回遊式の庭など、まさに豪農の風格。藩主牧野家から周辺の庄屋を取り仕切る役を仰せつかった、肝いり庄屋・岸家の格式をうかがわせる。2006年、国の登録有形文化財になった。

庄屋として余剰米で酒造りをしていた岸家は、1897年から本格的に酒造業に取り組むことになる。創業者は婿入りした岸五郎氏。旧姓名は関五郎松、北蒲原郡の大庄屋の長男に生まれたという。

30歳で岸五郎商店を設立した創業者は、「飲むほどに福招く酒」として『お福正宗』を立ち上げた。 飲むほどに幸福感を味わえる酒、存在感のある酒が今も造りのコンセプト。

「米をたっぷり使いあえて旨みのある味わいを追求しています。濾過を最小限にして、蔵癖のある個性豊かな酒造りを心がけています。もちろん、一貫して速醸酛を使っていますよ」と、代表取締役専務の岸伸彦さんは紹介する。

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■醸造の安全性を目指した速醸酛

お福正宗

速醸酛へのこだわりは、創業者岸五郎氏との関わり抜きには語れない。明治時代、初代蔵元が全身全霊を注いで酒質の向上、醸造の安全性を目指して研究した酒造法だからだ。

当時、一般的だったのは江戸時代から続く生酛造り。この手法では、菌の管理に高度な技術が求められ、温度によっては酒母がダメになってしまうこともあったという。

現在、全国の蔵で安定した酒造りのために使われている速醸酛は、『お福正宗』の蔵で試用されたのが始まり。創業者は酒母製造に乳酸の添加応用を試みた。

酒母に乳酸を加えることで野生酵母を排除し、適正酵母の純粋培養に成功したのだ。 これにより、当時最も恐れられていた腐造を防ぐことが可能となり、醸造業界に大きく貢献。

この功績により、後年、創業者は醸造界初の黄綬褒章を受章している。

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