豊臣秀吉の「唐入り」もし家来だったら…8割以上が「反対」
2016/12/27 10:00
豊臣秀吉の最大の失政と言われているのが「唐入り」だ。
現代では「朝鮮出兵」と呼ぶ向きもあるが、これは正確な表現とは言い難い。なぜなら、秀吉は中国大陸はおろかインド亜大陸や今のフィリピンに当たる島々を手中に収めようとしていたからだ。だが、この大遠征は結果として失敗に終わった。
なぜ、秀吉は唐入りを実行したのだろうか?
いや、その前に唐入りに反対する者はどれだけいたのだろうか?
■8割以上が反対
ここで、全国の20代〜60代男女1,365名に対してこんな質問をしてみた。
「もし秀吉の家臣だったら、唐入りにはむしろ賛成していたか?」という内容である。
すると全体の15.9%が「はい」と答えた。だが案の定、唐入り反対派が8割以上である。やはり、この計画は無謀だったのではと考える人が大半のようだ。
ところが史実を調べてみると、秀吉の唐入りに対して真っ向から反対したという者はあまりいなかったようだ。
それは秀吉からの制裁を恐れたのではという見方もあるが、じつは諸大名にとってもこの遠征計画は決して悪くない話だったらしい。
■海外出兵は「雇用創出事業」
そもそも、国内を平定した権力者は高い確率で国外出兵を考える。それが言わば「歴史の法則」というもの。
アレクサンダー大王、チンギス・ハーン、ナポレオン…。近代以前の政治家は「国内の次は諸外国」とばかりにいつでも強大な遠征軍を整えていた。それをしなかった徳川家康は、極めて例外的な人物だ。
その徳川幕府も、一度だけ海外派兵を検討したことがある。それは鄭成功が明朝復活の支援を申し込んできた時。当時の日本は国内に膨大な数の浪人を抱えていて、彼らの雇用を創出するために鄭成功の提案を受け入れる寸前だった。
「雇用を創出する」とは不適切な表現と言われるかもしれないが、武士は本来戦うことを仕事にする人々である。
■もし、唐入りが成功していたら…
つまり、豊臣秀吉もまったく同じ政治問題に突き当たっていたのだ。
国内が平定されると戦争がなくなる。それは武士にとって、失業してしまうという意味。
だから、余剰になった兵力を海外へ送るしかない。それができなくなったら最後、諸大名が反乱を起こすかもしれない。秀吉はその恐怖と戦っていた。
ただ、秀吉の唐入りが失敗に終わったことは幸運だったかもしれない。なぜなら、秀吉は明朝征服の暁には天皇を中国大陸に移すつもりだったからだ。
大陸文化の浸透力は半端ではない。日本の天皇が中国の皇帝になってしまうと、今度は日本古来の文化が大陸のそれに吸収合併されてしまう可能性が高かっただろう。
モンゴル遊牧民も女真族も、年月が経つごとに「漢民族化」が進んだ。それぞれ独自の文字を持っていたのに、いつの間にか漢字だけを使用していたほど。
要するに、秀吉の唐入りが成功していたら今現在の日本は存在し得なかったのである。
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(取材・文/しらべぇ編集部・澤田真一)
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