「ケチの大君」徳川家康が嫌いな人はどれだけ存在する?
2016/09/05 05:30
徳川家康は、日本史上極めて盤石な政権だった江戸幕府を築いた大人物だ。
混沌の戦国時代を切り抜けた家康が創設した政権は、2世紀半もの長きに渡って存続。しかもこの間に国の根本を揺るがすような内乱や対外戦争は起こらず、まさにミラクル・ピースと表現するにふさわしい光景が繰り広げられた。
だが、一方で徳川家康は「ケチな狸爺」「農民根性丸出し」といったイメージを持たれているのも事実。確かに、織田信長や豊臣秀吉に比べると格好良さや壮大さに劣ってしまう。
そうした点が気になり、家康に好感を持てないという現代人もいるようだ。
■「家康嫌い」は存在する!
ここで、しらべぇ編集部ではこのような調査を取ってみた。ずばり「徳川家康が嫌いか?」である。
家康が嫌いと回答した人は、全体の13.7%。これを多いと取るか少ないと取るかは各人の見解によるが、少なくとも万人が支持する英雄ではないらしい。
その上、もしこれと同じ調査を50年前に行ったとしたら、家康嫌いの割合はさらに増えていたかもしれない。
■東照大権現のケチケチエピソード
徳川家康という人物は、つい最近になってようやく再評価された人物。
明治新政府がいわゆるクーデター政権だったため、文明開化以後の知識人が「悪しき旧政権」の創設者である家康を容赦なくこき下ろしたという背景もある。だがそれ以上に、家康は当時の人々も呆れるくらいのケチだった。
これはちゃんと史料にもある。風に飛ばされたちり紙を必死に追い駆け、家臣に笑われたというエピソードは有名。また、家康のふんどしの色は淡黄色だったという。黄ばみがついても長く使用できるから、というのがその理由だ。
世界最大の金貨を作り、財宝を下々の者にばら撒きまくった豊臣秀吉とは金銭感覚がまったく違う。そうした対比が、家康の「貧乏臭さ」を余計に引き立ててしまっている。
■貿易に関心を寄せる
だが、思い返してみれば家康にはウィリアム・アダムスという外国人顧問がいた。
家康はオランダ以外のヨーロッパ諸国とも交易を望んでいた。イギリス国王に対しては国書も出している。結果的にオランダ船しか来なかったのは、相手国側に問題が発生したから。
イギリスの場合は、エリザベス1世死後に虎の子の海軍戦力が低下し、グレートブリテン島周辺にバルバリア海賊が跋扈する状況を作ってしまった。17世紀初頭、極東の島国と交易できるだけの力を持っていたのはオランダだけ。
そうでなければ、家康はヨーロッパ各国と積極的に交流し、日本を重商大国に導いていただろう。
「ケチの狸爺」の正体は、史上稀に見る優秀なCEOだったのだ。
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(取材・文/しらべぇ編集部・澤田真一)
【調査概要】
方法:インターネットリサーチ「Qzoo」
調査期間:2016年8月26日~2016年8月29日
対象:全国20代~60代の男女1,368名(有効回答数)
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