【真田丸】石田三成・真田信繁の負け戦 忍城の戦いって?
三谷幸喜の脚本と豪華な出演者による名演技が人気のNHK大河ドラマ『真田丸』。本日放送の第23回「攻略」では、関白・豊臣秀吉が、最後まで敵対した北条氏政・氏直親子を討った「小田原攻め」が描かれる。
この戦いには、ドラマの主人公、真田信繁や父・昌幸も出兵した。
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■難攻不落の小田原城
北条氏が籠もる小田原城は、難攻不落を誇る名城。1561年(永禄4年)、上杉謙信が率いる10万以上の大軍が1ヶ月包囲した際も守りきった。
1590年(天正18年)に秀吉軍が攻め寄せた際は、さらに城下町や田畑などをまるごと防御する全長9kmにおよぶ城壁(惣構)が作られていた。
秀吉は、小田原城近くの石垣山に城を作らせ(石垣山一夜城)、力攻めを避けてじっくりと包囲を続ける。一方で、配下の武将や大名たちに北条方につく関東の諸城を攻めさせた。
■三成・信繁が攻めた「忍城」
石田三成や大谷吉継、真田昌幸・信繁親子らが攻略を任されたのは、成田長親らが籠城する忍城(埼玉県行田市)。三成は、備中高松城攻めで成功した「水攻め」を選んだ。
しかし、周囲の城が次々と落ちていく中、忍城攻めはおおいに苦戦。なおその際、築かれた全長28kmにおよぶ堤防(石田堤)の一部は、今も残されている。
■攻められた側の視点から見ると…
攻める三成・信繁から見たストーリーは、今夜のドラマに任せるとして、もうひとつ興味深いのが、守る成田家から描かれた物語。和田竜の歴史小説『のぼうの城』が、野村萬斎主演で映画化もされている。
小田原城が降伏した後まで包囲に耐えた忍城では、鎧を身につけて戦ったとも伝わる甲斐姫が豊臣秀吉の側室となった。その寵愛から、成田家は大名として復興を許されている。
大軍勢を相手に、小さな城がいかに戦い抜いたのか。歴史について、興味の幅を拡げてみるのもいい。
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(文/しらべぇ編集部・タカハシマコト)
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