宇多田ヒカルの過去と今 新曲『真夏の通り雨』に集約された想い

生身の人間としての「宇多田ヒカル」を強く発信したいということなのではないだろうか。

宇多田ヒカル

4月15日に、2012年の『桜流し』以来4年ぶりとなる新曲『真夏の通り雨』と『花束を君に』をリリースした宇多田ヒカル。2010年からアーティスト活動を無期限休止した彼女は「人間活動」に専念すると発表し、表舞台からしばらく姿を消していた。

1998年のデビュー以来、日本の音楽シーンにおいて破竹の勢いで駆け抜けてきた彼女。しかし、2010年の無期限休止以降の新曲リリースは、わずかシングル3曲。

しかも、「その詞の世界観や作風などは、以前と比べ明らかに毛色が違うものになっている」という。そのように語ったのは、音楽業界で活躍する30代のクリエイターだ。

ここ数年で宇多田はどのように変化していったのか、彼に分析してもらった。


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■変化の兆しは2012年リリース『桜流し』

 「2012年リリースの『桜流し』は、同年公開の『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』のテーマソングとして書き下ろされたものの、宇多田本人は映画の展開をほぼ知らない状態で曲を製作したと言われています。


そのためエヴァの世界観に寄り添うというよりも、もっと普遍的な曲になっており、その時点での彼女の表現したいことの変化を感じさせるものになっていました」

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■『桜流し』と『真夏の通り雨』は連作の私小説のよう

『桜流し』のテーマは愛と死で、彼女の今までの楽曲に比べストレートで重く、私小説のような世界観がある。これは、前年に起こった東日本大震災の影響もないわけではないでしょう。この曲から、曲のテーマ性や質感が変わってきた印象があります。


それは、以前のポップで外に向かうような楽曲たちとは異なるものでした。そしてこの変化は、桜流しから4年後の先月リリースされた新曲『真夏の通り雨』でもそのまま継承されています。というよりも、『桜流し』と『真夏の通り雨』は、連作といっても過言ではないほど似た質感を持っている。


『真夏の通り雨』も愛と喪失を歌っていますが、『桜流し』の主人公の心がタイトルのとおり春から夏へと進むように移り変わり、そのまま『真夏の通り雨』が描く情景につながっていくような親和性を感じさせます」


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■双方の曲の根底にある母への想い

「どちらの曲も直接的な言及はありませんが、その根底に『母親』を感じさせます。両曲で歌われる『あなた』は、恋人に対してと受け取ることもできますが、もっと近しい人を失う寂しさや哀しみを乗り越える強さを聴き手に想起させるもの。


2曲とも、2013年に亡くなってしまった彼女の母親である藤圭子さんへのラブレターであるとも思えます。亡くなるより以前に書かれた『桜流し』のほうがより死を想起させ、一方で『真夏の通り雨』は喪失を静かに受け止めようとしているという描写が興味深いですね。


これはあくまで僕の見解ですが…藤さんが自殺したのも真夏の8月。タイトル『真夏の通り雨』との関連性を見いだせずにはいられません」


一部メディアでは、新曲のプロモーションに積極的ではないと報道されていた宇多田。だが彼の話を聞く限りでは、ビジネスに比重をおいた活動だけではなく、生身の人間としての「宇多田ヒカル」を強く発信したいということなのではないだろうか。

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(取材・文/Sirabee編集部

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