PL野球部の休部に衝撃!最強と言われた学校に何が…

画像はPL学園硬式野球部オフィシャルサイトのスクリーンショット
画像はPL学園硬式野球部オフィシャルサイトのスクリーンショット

高校野球の名門、PL学園高校硬式野球部が今年夏の大会後、休部となることが判明。80年代無敵と言われ、春夏の甲子園大会で7回優勝している名門校だが、当時から部員による下級生への暴力事件が頻発。

2001年に出場停止処分を受けたことから学校側が全寮制の廃止など体質改善を進めたが、2013年にまたも部員による暴力事件が発覚し、6ヶ月の対外試合禁止処分を高野連から受け、当時の監督が退任。

その後は野球経験のない教師が監督としてベンチ入りし公式戦を戦っていたが、学校側は充分な指導ができないとして2015年から新入部員の受け入れを停止。現在の2年生が最後の夏を迎える2016年をもってPL野球部は「休部」となる。

かつて高校野球の代名詞的存在だったPL学園野球部が休部になるのは驚きだ。文字通り最後の夏となる大会に臨む現部員のプレッシャーは相当なものがあるのでは。


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■廃部寸前の部活動に所属したことがある?

廃部や休部のプレッシャーと戦ったことのある学生はどのくらいいるのだろうか。しらべぇ編集部が全国の男女に中学及び高校時代に廃部寸前の部に所属したことがあるか聞いてみた。

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結果、「ある」と答えた人はわずか6.4%で、ほとんどの人が廃部の危機に瀕する部活に所属したことがないことが判明。企業のスポーツ部が不況のあおりを受け廃部となることは多々あるが、学校のスポーツ部が休廃部になることは極めて珍しいようだ。

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■甲子園で名勝負を繰り広げる

PL野球部は80年代を中心に甲子園大会で名勝負を繰り広げてきた。おもな試合をピックアップしてみよう。

①1998年 夏の甲子園 横浜対PL学園

怪物松坂擁する横浜と、日本テレビアナウンサーの上重聡をエースにすえたPL学園との対決。試合はPLが序盤に3点をリードするも横浜が追いつき、4-4のまま延長へ。

延長戦では横浜が2回勝ち越すも、PLも即座に追いつき死闘に。17回表、横浜が2アウトからショートの暴投で出たランナーを置いてツーランホームランで勝ち越し、松坂が17回を1人で投げ抜き勝利。


②1983年 夏の甲子園 池田対PL学園

夏春夏3連覇をかけた蔦監督率いる池田と、KKコンビ一年生のPLの対決。池田の水野から桑田が衝撃的な特大ホームランを放つなどして加点し、投げても桑田が「やまびこ打線」を完ぺきに抑え、完封勝利。池田の連覇を阻み、甲子園の主役の座を奪った。


 ③1985年 夏の甲子園 宇部商対PL学園

KKコンビ最後の夏、決勝で宇部商と対戦。序盤に宇部商がリードするも、清原が2度の同点ホームランを放ち実況に「甲子園は清原のためにあるのか」と言わしめる。同点の9回裏、松山がサヨナラヒットを放ち、PLが優勝。


この他にも数々の名勝負を繰り広げてきたPL野球部だが、下級生への暴力という悪しき伝統を払拭することができず、休部となる。

しかし、あくまで休部であり「廃部」ではない。そうそうたるOBの力やファンの声でよみがえることを期待したい。

(取材・文/しらべえ編集部・佐藤 俊治

qzoo

【調査概要】
方法:インターネットリサーチ「Qzoo
調査期間:2016年9月20日~2016年9月24日
対象:全国20代~60代の男女1413名

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佐藤 俊治

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