【川奈まり子の実話系怪談コラム】憑いてこないで【第十二夜】

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独りで入ったレストランで、目の前に置かれた2つ目の水のコップ。「1つ多いですよ」とウェイトレスに声を掛けると、怪訝な表情で「お連れさまは……?」――皆さんは、こんな経験をしたことはないだろうか。


2年ぐらい前まで、約3年間、毎週3、4回も、南青山の自宅から豊島区の巣鴨に通っていた。巣鴨のスイミングクラブで息子が水泳を習っていて、その送迎のためだった。

初めのうちは行きも帰りも付き添っていたが、やがて息子は、自宅と巣鴨駅との往復にだけ付いてきてくれればいいと言いはじめた。巣鴨駅前でいつも行き合わせるスイミングクラブのお友だち2、3人と一緒に、子供たちだけで通いたいと言う。

そこで、そういう年頃になったのだと解釈して、息子に子供用の携帯電話を持たせて何かあったらすぐに電話を掛けるように言い聞かせ、駅ビルのコーヒーショップを待ち合わせ場所に決め、私はそこの店内で待つことにした。

息子の水泳練習は、平日はたいがいいつも夕方の4時半から始まって、6時半頃に終わった。その後、着替えて、徒歩で駅ビルまで戻ってくると、4階にあるコーヒーショップに着くのは6時45分から7時の間になった。

巣鴨駅前、あるいはコーヒーショップから私が息子を見送るのが午後4時頃だから、3時間近くある。パソコンを広げて仕事の原稿を書くにはちょうどいい時間だったが、私は飽き性で、1ヶ月もするとそのコーヒーショップにじっとしているのが厭になった。

そのうち、私はこの巣鴨界隈をよく知らないということに思い至った。

ここはひとつ、この辺りのことに詳しくなってやろうと考えた。そこで、コーヒーショップの隣の書店で豊島区の詳細地図を買い、外へ繰り出したのだった。


とげぬき地蔵から始まって、行く度、次第に私は足を伸ばした。

妙行寺巣鴨プリズンを訪れたのは2年半ほど前の7月半ば。地方によっては盆の入りにあたるその日は、油照りに蝉が鳴き騒ぐ炎暑の日だった。


お岩さまが、夫・田宮伊右衛門との確執の果てに病身となり、その後亡くなったのが寛永13(1636)年2月22日。それ以来、田宮家では災いが立て続けに起きたが、田宮家の菩提寺であった妙行寺4代目日遵上人の法華経の功徳によってお岩さまの因縁は取り除かれたのだという。

四谷怪談の寺が四谷ではなく巣鴨にある理由は、明治42年に移転したからだそうだ。

お岩さまにお祈りすれば願い事が成就するというので、さっそく私も手を合わせたのだけれど、真剣な心持ちには程遠かった。周りにもお祈りしている人がいたから、空気を読んでそうしたに過ぎず、今となっては何を願ったのかさえ思い出せない。

興味本位で訪ねただけだったのだ――夏といえば怪談、怪談といえば四谷怪談だし、徒歩で行けるし――と。年甲斐もなく、子供じみた好奇心に駆られて。豊島区の観光ガイドブックをちょっと見た程度で、予備知識もたいして入れていなかった。だから、お岩さんの墓所の前に建っている赤い鳥居を見たときには驚いた。


お岩さまは生前、熱心にお稲荷さまを信仰していたといい、そのお陰で16石足らずの貧しい家だった田宮家が復興したとされている。そのため、田宮家もその近隣の人々もこぞってお稲荷さまを祀るようになったとか。

その証とも言えるのが、四谷・陽運寺の於岩稲荷だ。『四谷怪談』歌舞伎興行の際に役者等関係者が必ず参拝に訪れることから、おそらくこちらの方が巣鴨の妙行寺より有名だろう。於岩稲荷の本堂にはお岩さまの木像が安置され、新宿区の文化財に指定されたお岩さまゆかりの井戸も境内にあるという。


そういう経緯があるから、妙行寺のお墓の前にもお稲荷さまの鳥居が建てられたのだろうか。

蝉しぐれのなか、灰色に沈んだ墓所に鮮やかに浮き上がる真っ赤な鳥居が、禍々しく感じられるほど艶やかだったことを、今もくっきりと憶えている。


妙行寺を出ても、息子との待ち合わせ時刻まで、まだ1時間以上あった。池袋の巣鴨プリズンは、「サンシャイン60」のすぐ裏だ。

電車に乗って行っても間に合うだろうと思い、道を歩きはじめたところ、スーッとタクシーがやってきて、私の真ん前で止まった。喪服の男女が降りて、妙行寺の山門へ向かう。

午後5時をとうに回ったのに、未だあたりは真昼の暑さだった。

私はなんとなくぼうっと立ち止まって、喪服の2人を見送った。そして視線を前に戻して、偶然タクシーの運転手と目が合った瞬間、なんとなく右手を挙げてしまった。


タクシーの車中は涼しく、心地良かった。料金を支払い、座席から腰を浮かせたときだった。

「お客さん、忘れもの。シートに落ちてますよ」

運転手に注意を促され、見れば、たしかに私の黄楊の櫛が落ちていた。かまぼこ型で厚みがあり、もう長年大事に使っているものだ。

――どうして落ちたんだろう。

私はその櫛をいつも化粧ポーチにしまい、バッグに入れて持ち歩いていたけれど、タクシーの中で取り出してはいなかった。神に懸けて絶対に。

それが、後部座席の右側の窓のそばに落ちている。

「ありがとうございます」

咄嗟に櫛を座席から拾い上げてタクシーを降りたが、私は、お岩さまが櫛で髪をとかすと髪が抜け落ちてくる、あの『四谷怪談』の一場面を思い起こしていた。

道端で急いでバッグを開いて、やはり化粧ポーチの口のファスナーが閉じていることを確認すると、いよいよ胸底が冷え、大切な櫛が急に他人の物のように感じられてきた。

それと同時に、巣鴨プリズン跡地にこれから行くというアイデアが、急にひどく無謀なものに思われてきた。


お岩さまの妙行寺を訪ねたのと同じ理由から、行くつもりになったのだ。つまり、巣鴨プリズン跡地は有名な心霊スポットだから。夏といえば怪談、怪談といえば心霊。

――馬鹿みたい。不謹慎だったかな。

そう悔やんでも、すでに巣鴨プリズン跡地は目の前だ。


跡地は公園になっており、巣鴨プリズンで命を落とした人々を慰霊するために石碑が園内に建てられている。

石碑には、花束や日の丸の旗が供えられていた。こともあろうに手ぶらで来た私は、せめてもの償いに一所懸命に手を合わせた。

サンシャイン60から投身自殺した人は、落下する途中で風に流されて、なぜかこの石碑のある公園内に落ちることが多いという。

あたりに人の気配は無く、誰かが直前に供えた線香の匂いが濃くわだかまっていた。


その後、線香の匂いを全身に纏わりつかせたまま、巣鴨駅に戻った。

駅ビルのエスカレーターに乗ると、2階の踊り場で着物を着た女性がうずくまっている。巣鴨は「おばあちゃんの原宿」とも呼ばれ、高齢の女性に人気がある。お年寄りが休んでいるだけだろうと思ってやりすごしたが、3階にエスカレーターで昇る途中で振り返ると、姿が無かった。


3階から4階へ昇る途中では、エスカレーターの方を向いてベンチに座る裸足の女性を見た。

エスカレーターと店内を仕切る透明なアクリル板があり、それから20センチぐらい離してベンチが置かれている。

普通はエスカレーター側に背を向けて座るものだ。でも、この女性は明るい店内には背を向けて、ベンチに腰掛けていた。年頃は3、40代で、遠目にもわかるぐらい顔色が悪い。

そして、どういうわけか靴を脱いで、アクリル板に素足の爪先をつけ、膝を揃えて座り、目を瞑っていたのだが、私がちょうど横を通りすぎたとき、その瞬間を狙ったかのように目を開けた。

その目の中が一面真っ黒に見えたのは気のせいだろうか。


コーヒーショップに着いて、コーヒーを買い、空いている席に腰掛けた。

時計を確かめると、6時半に近かった。あと15分ぐらいで息子が帰ってくるだろうと思うと、ホッとした。

櫛や着物を着てうずくまっていた人や、さっきの裸足の女性のことが頭から去らない。それに、どういうわけか、まだ時折、線香の香りがフッと鼻先をかすめるような気がした。線香とは、こんなにもしつこく匂うものだったろうか。


そのとき、低く呟く声が聞こえた。

「……っ……っ……っ……」

何を言っているのかはわからない。周囲を振り返ると、杖をつきながら店内をぐるぐる歩き回っている人が目に留まった。口もとが動いている。声の主に違いなかった。

しかし、その容貌が普通ではなかった。

普通の倍以上はある長い顔で、頬にも顎先にも肉が盛り上がり、瞼は垂れ下がり、目鼻立ちが判然としない。

そんな顔が胸から生えている――ように見えた。背中が象亀の甲のように丸く盛り上がっているせいだった。

背中が曲がっているせいもあり、背丈は当時のうちの息子と同じぐらい、つまり130センチ程度で、大人にしてはひどく小さい。ざんばらに伸びた白髪が肩を覆い、片手で木の杖をつき、もう一方の手は鉤爪のように曲げている。醤油で煮しめたような茶色い作務衣のようなものを着ていて、性別はよくわからない。

そういう人が、コーヒーショップの中を存外に速い足取りで歩いてきて、私の前で、ピタリと立ち止まった。

私を見てはいるわけではなく、あさっての方向を向いたまま佇んで、何か呟く。

「……っ……っ……」

そして行ってしまった――と思ったら、1周して、また来た。

3度目に前で立ち止まられたとき、私は耐えられなくなり、席を立って、飲み残したコーヒーを捨て、同じ階にあるレストランに移動した。


さっきの杖をついた人が尾けてきてやしないかと恐れながらレストランに入り、ウェイトレスに案内されて席についた。

すると、暫くして、水を注いだコップをウェイトレスが持ってきたのだが、その数が1つ多かった。

私の前に1つ、テーブルを挟んで向かいの席の前にもうひとつ。

呆気に取られているうちに、ウェイトレスはさっさと私のテーブルから離れて行ってしまった。

気にしないで放っておこうかどうしようか散々迷った挙句、ウェイトレスに声を掛けた。ビールの中ジョッキを注文し、ついでのような振りをして余分なコップを指差した。

「1つ多いですよ」

ウェイトレスは怪訝な顔をした。

「お連れさまは……?」


「最初から独りです」


「失礼しました」

コップが下げられたが、そうなればなったで、正面の空間に違和感を覚えた。

いたたまれない。こんなことならコップを置かせておけばよかった。

やがて、ウェイトレスがビールのジョッキを運んできた。

と、そこへ、携帯電話に着信があった。

「おかあさん、どこに居るの?」

息子だった。コーヒーショップに着いたようだった。

「待ってて。すぐに行くから」

まだ口をつけていないビールがそこに在る。

私は、ジョッキの取っ手をつかんでテーブルの上を滑らせ、向かい側に移動させて、席を立った。


その後も私は、うずくまる着物姿の何者かと、裸足の女性には、同じ場所で何度も遭遇した。

そこで、ことによると、あれらはただの少し変わった人なのかもしれないと思うようになった。

また、月日が経つうちには、杖をついた人は精神状態がややお気の毒なことになっている病んだ御方で、コップの水についてはウェイトレスの勘違いに違いない、と、常識に叶った落とし所に辿りついた。

――とはいえ、今、あの夕方に遭った一連の出来事を思い起こしながら、なぜか背筋を凍らせ、二の腕にびっしりと鳥肌を立てているのだが。

あそこに居た何者かが私のビールをお神酒代わりに楽しんでくれればいい、そしてあっさりと私を赦してほしいと思ったのだけれど、虫の好い考えだったのだろうか。

(文/川奈まり子

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Sirabee編集部

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